8人の国会議員、19人の市町村長応援など相手陣営の総力戦はね返す
あきる野9条の会事務局長
前田眞敬
あきる野市は東京の西側にあり、人口約8万人、有権者6万6千人。米軍横田基地も近く、五日市憲法草案発見の地です。
市の負債総額は東京26市の中で最悪。旧秋川市時代からの開発優先の市政の失敗によるもの。懲りずに企業誘致を進め、進行中の土地区画整理事業に34億もつぎ込もうとしています。その一方で行財政改革の名で小学生の入学祝いの鉛筆(2本)廃止、町内会・自治会活動や修学旅行への補助金カットなど、「節約」を市民に押し付けてきました。市内循環バス(るのバス)は市民から増発増便の強い要求があるのに予算がないと19年間1台のみの運行。
長く続いた開発重視の市政から市民生活重視の市政へのチェンジが求められていました。
市民連合の取り組み、政治状況
「選挙で変えよう!市民連合あきる野」は17年8月に結成。衆議院東京25区で候補者一本化をめざして活動。
民主党が政権をとったときに、東京では自民党がほぼ全滅しましたが、25区は自民党の井上信治氏が楽々と当選するところです。あきる野市、青梅市、昭島市に市民連合ができ、他の市町村では個人が参画して連絡会を作っています。
あきる野市長選挙の取り組みは昨年3月から、候補者を一本化してたたかおうと市民連合で話しを進め、まず、市民要求を集め基本的な政策を協議し9月に完成。市議会は定員21人。その野党議員9人に政策を提示、市長選挙での共闘を呼びかけました。
野党といっても、政党として活動しているのは共産党のみ。立憲民主党と国民民主党の議員がいますが、党組織はありません。野党の会派は、「明るい未来を創る会」(以下「未来」)が5人(元自民と村木さんを含む保守系は3人、立憲と国民が各1人)、共産党3人、「くさしぎ」1人。
4年前の市長選挙では、今回勝利した村木候補と、自民党の1期目をめざす沢井候補、共産党が候補を出しました。この選挙では、現在の「未来」と共産党とで村木候補1本化での話し合いが不調に終わり、共産党は独自候補をたてたのです。結果は村木候補は214票差で沢井候補に負けました。共産党候補は3829票でした。
様々な困難、市民連合の活動中断
今回は野党共闘をめざしましたが、前回の遺恨を抱く議員や共闘は賛成だが候補者によるなどの意見が出されていました。市民連合はそのために苦心しました。
昨年秋に、村木さんが「立候補したい」と言っているとの情報が入りました。市民連合としては村木さんが立候補をするなら独自候補を擁立しても勝てないと考え、足踏み状態になりました。しかし、村木さんの立候補の表明はありませんでした。
市民連合は、野党議員をまとめるということで、「本気で!市政を変える会」という勉強会を企画し、現職の市議会議員たちを呼んで、発言する場をつくって、なるべくみんなが揃ってやっていけるように努力をしました。昨年11月の「市政を変える会」に「未来」は賛意を示しましたが、1人がメッセージを寄せ他は欠席。共産党と「くさしぎ」の4人が出席。出席した市議からは市政を変えたいという熱意が語られ、参加者や元市議からも切実な要求と「変えたい」という意見が出されました。野党市議とも個別に話し合いを持ちながら、3回の会を重ねましたが、5月末から参院選もあり市民連合の活動は中断。
市民連合と村木さん協定
夏も終わりに近づいた8月19日に村木さん側と懇談会を持った席上で「市民連合の協力を得て市長選に出たい」との表明がありました。
市民連合は政策をすり合わせ、推薦を決定し、村木さんと①政策に合意する、②市民連合は村木さんを推薦する、③当選後も市民連合と定期的に協議を行うと協定し、9項目の政策協定を結びました。この時野党共闘は進んでいませんでしたが、いち早く共産党が「自主的支援」の声明を出し、立憲市議も続きました。
【政策協定(要旨)】
①武蔵引田駅北口の区画整理事業を凍結。計画的な負債の縮小②開発優先の市政を見直し、住民サービス重視の市政をめざす。③「るのバス」を、当初の計画だった3コース3台を実現させる。④憲法を守り、市政に生かす⑤原発再稼働反対。⑥CVオスプレイの横田基地配備撤回。⑦自然災害への備えは重要課題。安全・安心の徹底。⑧非核平和都市宣言を表明する。⑨地方自治法生かし、住民福祉の増進と住民参加型の市政実現を。
政策協定を結んだのが9月8日、投票日が10月6日、1ヵ月ありませんでした。まず『市政を変えよう市民集会』を9月22日に開催。市民がいろんな要求を持ち寄って、9項目の政策と重なるようなスピーチを12名がして、村木さんが挨拶。その中で、「るのバス」や学校体育館のエアコン設置などの実現を言いました。ビラができてから、5日間で130名を集める集会ができました。
政策協定は結びましたが村木陣営のビラにはそれが書かれていませんでした。そこで市民連合として「市政をチェンジ」というポスターを告示前に貼ろうと急きょ作成、3日間で500枚を貼り出しました。「未来」の元自民の議員も「このポスターを貼りたい」と言うほど好評でした。
村木陣営は村木英幸後援会というのが主体で村木さんの住んでいる菅生地域を中心とした後援会。市内全域にビラを配布することがでず、ほとんどが新聞折り込みという状況でした。そこで村木後援会の名入りビラ1万枚を引き受け、市民連合として約2日間で配布しました。
公示後は政策ビラ9000枚を市民連合が配布しています。政策カーも市民連合が2日間借り切り、政策協定をアピールしながら走らせました。政策の宣伝不足を感じ、重点政策をアピールするビラを作ろうということになり、市民連合の要求ビラをピンクの紙に輪転機で8000枚を一晩で作り各戸配布。これも非常に好評でした。政策を3つに絞り推していこうというのが市民連合の方針でした。
告示日の第一声には多くの野党市議が結集し、事実上の野党(議員)共闘となりました。
対抗する沢井陣営は、東京25区の井上信治衆議院議員が事実上の選対部長になって指揮。国会議員では自民の下村博文、石原伸晃、丸川珠代、片山さつき、中川雅治、朝日健太郎、公明の高木美智代の各氏が乗り込んできて、50~70人くらいの個人演説会をやる。都議や西多摩をはじめ19人の市町村長も応援に入りました。野党共闘で追いつめられからくも当選した立川市長は「自分は危なかった。油断すると大変だ。共産市政に乗っ取られないようにしよう」と檄を飛ばしました。連合、医師会、私立幼稚園保育園協会など30近い各種団体が推薦。反共攻撃もすごかった。地元の地域紙は「共産系の市民団体」と書き、街頭演説で「共産市政にしてはならない」などと繰り返し、不審な電話世論調査は「自公が推す沢井か、共産が推す村木か」と印象操作。相手陣営はまさに総力を挙げて取り組んでいました。
反共攻撃をはね返して
私たちは、精力的にビラを配布し、大きいプラスターや横断幕を作り毎朝夕駅頭で宣伝。ビラは受け取ってくれなくても、みんなプラスターなど見ていきます。電話をかける。また、反共攻撃には機敏に反撃。村木候補は「政党の支援は受けず、地元後援会、保守中道革新の市民の皆様の協力、市民連合の推薦で頑張ってまいります」と繰り返しました。村木事務所には共産党議員などは来ないでほしいとの意見がありましたが、選挙戦を通じてこうした意見は解消されていきました。選挙戦で共産党の果たした役割が大きかったからです。
88票差の劇的勝利
私自身は、厳しいと思っていました。市議会議員は相手陣営が12名。こちらは9名です。市議選での票差は約8700票でした。結果は村木13786票(前回比+1831票)、沢井13698票(前回比+1529票)と88票差で勝利。投票率は41.48%(前回44.42%)。
開票の夜、新聞記者のほとんどが沢井事務所に行っていました。村木候補当選という結果が出て、記者たちが村木事務所に集まってきました。記者の話では井上信治議員が真っ青になっていたそうです。
勝利の要因
市民連合として選挙総括の議論はしていませんが勝因としては、①市民連合として市民要求を掘り起こし政策化し、政策協定を結び、その実現を中心に訴えたこと。②市民連合が、野党議員の結束を促し、市民と野党の共闘の状況を作り出し、公明支持者の一部まで取り込み「オールあきる野」でたたかえたこと。③沢井市政が市民の声に耳を傾けず、実績もほとんどなかったこと。選挙公報も沢井候補は抽象的な内容であったのに対して、村木候補はズバリ市民要求を掲げたこと。④「市政チェンジ」のポスターやビラが市民の心をとらえたこと。⑤日常的に20ほどの市民団体が活発に活動し、様々な市民要求運動に取り組んできたこと。などがあげられます。
市長と市民連合の協議、その後
選挙後の10月25日に協定による第1回協議(懇談会)を開催。村木新市長は、就任前から台風対策をしていた、土地区画整理事業の予算執行をストップした、「るのバス」は来年度1台増やす、平和教育の予算もつけるなど政策の実現を語りました。
その後も「全国首長九条の会」に賛同し呼びかけ人になり、「オスプレイはいらない11・24東京大集会」にメッセージを寄せています。
市議会は少数与党。政策の実現に難しさがあります。そのことを理解しながら「オールあきる野」として運動が一歩進んで、本当に市民と野党の共闘が進むように、頑張っていこうと思っています。