2011年5月2日月曜日

3.11大震災支援報告 東京民医連


                伊藤邦夫(大森中診療所)
水浸しの中に点在する破壊された車
地震発生直後は当診療所の6・7階での物品の転倒などもあり、一時混乱も起こりましたが、外来患者様および職員の安全確認後、法人本部および全日本民医連との情報交換を開始し、現地宮城県の被災状況把握と医療支援の準備を始め、緊急車両の許可を取得し、支援場所とした宮城県の坂総合病院を目指し、医師、看護師とともに出発しました。


東北自動車道は現地に近づくにつれ道路の亀裂や路肩の崩落などが点在し、村田JCTを過ぎた辺りより景色が変わり、水浸しの中を点在する車が現れ、目的地手前の多賀城市に入ると津波で流され破壊された車両が道路両側の至る所に放置され、泥だらけの道路を進み目的地の塩釜市にある坂総合病院に到着しました。       
                                                     ※ 写真「現地の医療スタッフを補助して救急医療を支える


毎日三00人超の救急患者
持ち込んだ支援物資を降ろし本部からの状況を受け、医師と看護師は早々に途切れなく来院する救急患者の対応へと慌ただしく始まりました。現地は地震発生後、毎日三00人を超える救急患者と三十台を超える救急車が昼夜を問わず来院し、玄関先でのトリアージ(重症度分類)後、各ブースに誘導・搬送・治療と流れるシステムが機能し、各ブースには坂病院の医師・看護師が支援の医師・看護師と連携し対応していく様子は大きな処置室の様相でした。入院ベッド三三0床はすでに満床を超え三九二床まで拡大しての入院医療を継続中でした。病院周辺避難所は十か所以上に七000人以上が避難され、避難所への医療も始まったばかりでした。

被災した職員も多く、津波による職員の死亡者二名や家族などの行方不明も現実に起きている中で、地域の医療を必死に守ろうとしている職員の奮闘がひしひしと伝わってきました。発生三日目の13日には全国25県連の民医連医療機関から一一三名もの支援が入り、一人でも多くの命を救いたいと願う全国の連帯と行動力に驚かされました。

言葉を失う被害の中で
帰りの車を塩釜湾に向け、さらに若林区を経由し被災状況を見ました、あまりにも広範囲と被害の甚大さに言葉を失いました。町や自治体そのものが崩壊してしまった中で、これから新たに街づくりが始まろうとしています、防災に強い街つくりやエネルギーに対する考え方など多くの課題が山積みになると思いますが、地震という自然現象は防げなくても、発生後は住民の命と財産を守られる地域づくり、街づくりが作られることを願うとともに、今住んでいる首都東京の防災対策を考え直す機会になればと思いました。
今後も長期的な支援になるかと思いますが、全国の仲間とともに復興、再建に向けてがんばっていきたいと思います。 
             伊藤邦夫(東京民医連/大森中診療所)