伊藤邦夫(大森中診療所)
水浸しの中に点在する破壊された車
地震発生直後は当診療所の6・7階での物品の転倒などもあり、一時混乱も起こりましたが、外来患者様および職員の安全確認後、法人本部および全日本民医連との情報交換を開始し、現地宮城県の被災状況把握と医療支援の準備を始め、緊急車両の許可を取得し、支援場所とした宮城県の坂総合病院を目指し、医師、看護師とともに出発しました。
被災した職員も多く、津波による職員の死亡者二名や家族などの行方不明も現実に起きている中で、地域の医療を必死に守ろうとしている職員の奮闘がひしひしと伝わってきました。発生三日目の13日には全国25県連の民医連医療機関から一一三名もの支援が入り、一人でも多くの命を救いたいと願う全国の連帯と行動力に驚かされました。
言葉を失う被害の中で
帰りの車を塩釜湾に向け、さらに若林区を経由し被災状況を見ました、あまりにも広範囲と被害の甚大さに言葉を失いました。町や自治体そのものが崩壊してしまった中で、これから新たに街づくりが始まろうとしています、防災に強い街つくりやエネルギーに対する考え方など多くの課題が山積みになると思いますが、地震という自然現象は防げなくても、発生後は住民の命と財産を守られる地域づくり、街づくりが作られることを願うとともに、今住んでいる首都東京の防災対策を考え直す機会になればと思いました。
今後も長期的な支援になるかと思いますが、全国の仲間とともに復興、再建に向けてがんばっていきたいと思います。
伊藤邦夫(東京民医連/大森中診療所)